釜山市にある亀浦城(亀浦倭城)は文禄二年(1592)の文禄の役で小早川隆景、立花宗茂らによって築かれた城です。韓国内の倭城の中でも屈指の遺構が残ります。今回、亀浦倭城を巡ってみて印象的だったポイントを3つ上げてみます。
まずは縄張図
亀浦倭城は釜山市九龍寺の裏山です。登城口は整備されているので、倭城の中でも比較的訪れやすいのが特徴。そしてこれが現地にあった縄張図。山頂を中心にいくつかの曲輪で交際されています。
見事な野面積み
韓国釜山市に残る #亀浦城(韓国語:#구포왜성、亀浦倭城)は文禄二年(1592)に日本軍が文禄・慶長の役(#壬辰倭乱)で築いた倭城のひとつです。築城は #小早川隆景、#立花宗茂 ら。
現在は石垣、虎口、竪堀などの遺構が見られ、釜山広域市記念物第6号にも指定されています。特に… pic.twitter.com/opcjvWAQZb
— 一日ひとつ城や戦国の学んだことを発信しています!(みかわのひで) (@mikawanohide) January 7, 2026
城内に残る石垣は野面積み。これが400年以上残っているのはスゴい。されて、では本題の印象的だった3つのポイント、いってみましょう!
(1)頑張った隅石
見事な石垣を見た後にチェックするのは石垣の隅。ちゃんと算木積みになっているかどうかです。算木積とは長い石と短い石が交互に積んである状態のこと。
これは愛知県名古屋市の名古屋城(日本100名城)の石垣。カドの部分を見てみると、長い石、短い石が交互に重なっています。これが算木積み(さんぎづみ)です。こう積む事により強度が増し、崩れにくくなるといわれています。
別の隅石を見てみると…なんとか算木積みにしようと頑張った感はありますが、変則的ですね。名古屋城と違い亀浦倭城は敵地の城なので、正確に算木積みにできる余裕はなかったのでしょう。
(2)抜け落ちた石
石垣をよく見ると抜け落ちた部分があります。築城から400年以上経過しているので自然に抜け落ちたのでしょうね。
でもこちらの石垣はヤバいかも。なぜかというと、隅石の下部、つまり石を支える元の部分が抜け落ちているからです。これは想定ですが、元の石が抜けるとその上の石も強度が減るので、崩落の原因になります。次に行く時までこの石垣は残っているのだろうか?
(3)虎口が分かりやすい
亀浦倭城の本丸虎口(こぐち)は一目で虎口ということが分かるほどシンプルでした。虎口というのは曲輪の出入り口を守りやすく攻めにくくする工夫のこと。まっすぐ進ませないために道を折り曲げて、横や後ろから攻撃します。この虎口は必見です。
所要時間と私の感想
亀浦城(亀浦倭城)の所要時間は隅々まで写真を撮りまくって30分ほどでした。私の感想ですが、亀浦城は韓国の倭城の中でもオススメです。理由は次の3つ。
・最寄り駅から徒歩15分と近いから
・遺構がよく残っているから
・生い茂ってなく巡りやすいから
夏よりも秋がオススメです。